※こちらは2024年3月のアメブロ過去記事を一部加筆修正しアップしたものです。更新日時が実際と異なりますがご了承ください。

先日次男の卒園式がありました。

家ではダラダラとした次男もしゃきーん!と緊張した面持ちで保育証書を受け取ることができました。

先生方に温かく保育していただきここまで来ることができ感慨深いです。

次男の育休中に夢を固め、
ケアマネの勉強をして
復帰後、院内保育園に1歳2ヶ月の次男をお願いしたのですが、ワークライフバランスに苦しみました。

workライフバランスについて常に考えてきた5年間でした 

当時働いていた病棟はまず、私が終業後に迎えに行くというプランがかなり難しく…。
院内保育園では希望時に夜ご飯も食べさせてくれるのですが、私は本来夜ご飯の時間まで働かない時短勤務で復帰したはずでした。

 

それなのに結局ほぼ毎日夜ご飯を食べる時間まで残業しました。
時には私自身、昼の食事が取れず夜ご飯お願いの連絡すらできないまま夕方になり、私の昼のお弁当食べさせてください!と届けに行って…食べさせてくれたけど、注意されたり(そりゃそうだ)
迎えが19時半までなので迎えに行くと残った子は次男1人で、掃除機をかけている保育士さんに抱っこされていました。
(そんな日はなんどかありました)
その日は最高に残業した日でそのまま病棟にもどり21時まで抱っこして仕事をしました。
次男、膝の上で寝ていました。

ただ家に帰ってお風呂に入り寝るだけで、疲れも取れぬまますぐ次の日になり。朝ご飯を食べさせて院内保育園につれていき、また早く帰ることを目指してがむしゃらに働く、そして帰れない。そんな日々の繰り返しでした。

自分の時間なんてないし、子どもと関わる時間もありませんでした。

院内保育園は母が休みの日は預けてはいけない、というルールもあり、市内の保育園と比べるとかなりの窮屈さを感じたり、

院内保育園の利用状況によってシフト変更するよう指示があったことも。

そんな中ケアマネの試験に合格。

ケアマネ実務者研修で病棟が休みの日に、かなりの期間をかけて研修に通う必要が出てきました。
院内保育園に限界を感じていた私は、この時期早々に今の保育園に転園しました。保育料がかなり高くなりましたが、それ以外に選択肢はありませんでした。

 

転園後は義母に迎えをお願いできることになり、私の負担はかなり軽減しました。
毎朝、ぐずったりバタバタしたりしながら保育園に送り出しました。

 

1年頑張り17年務めた総合病院を退職。

 

復帰後1年半働き、業務にも多少は慣れてリーダーもやるようになりましたが、若い子たちは日が変わるくらいまで残業することも珍しくない職場です。
結局時短勤務をフルに戻すことができませんでした。

 

19時頃でも『お先にすみません』と謝罪して帰宅するのも肩身が狭かった。
そして残業をありのままに申請すると看護部から呼び出されて。皆すべて申請していないとは思うので私も悪いのかもしれませんが、休憩時間を削って、サービス残業して。『時短の意味』がわからなくなる日々でした。

 

それでも夕方に他の人より早く帰っても文句がないよう…
朝もみんなみたいに8時前には仕事に入ることが私には辛かったので、始業開始ギリギリ出勤(8:25)でも何も不満を言われないために…9:00〜17:15の勤務形態、毎日30分の時短を申請していました。
夜勤も月2回土日だけでしたが対応し、上席もやりました。
ある職員さんには「ギリギリ出勤することも残業を少なく早く帰ることも、割り切ったらフルでもできるよ?」とアドバイスをいただきました。そのことは私も重々承知の上でしたが、でも割り切るのが難しくて、その方も私の性格を分かってくださっていました。

 

退職と同時にコロナの非常事態宣言。
そんな中なのに入園式の2日前には熱性けいれんを起こしたのを覚えています。コロナではありませんでしたが…

 

訪問看護師となり、そこからはフルでも家庭との両立ができるようになりました。
まず、基本土日が休みなので病院時代より休みに家族と一緒にいられるようになりました。
出勤時間が大幅に短縮され、前残業のない職場なので、フルでも病院での時短と同じくらい朝に時間がありました。
朝は戦争なのでこれはかなりありがたいです。

 

残業はあっても、病院と同じくらい残業したとしても、他のメンバーさんを置いて謝罪して退勤…ということはないのが精神的に楽でした。

 

ただ待機の呼び出しでこっそり寝ている次男を置いて出かける、ということが何度もありましたが、一度気づいて大泣きしていたこともあったのでかわいそうなことをしたなと思う日もありました。

 

その後、徐々に職場で任せられる役割のウエイトが増えて現在は勤務時間そのものは病院時代とあまりかわりませんが、
次男も大きくなり
負担が減ってきたように思います。

 

色んなことができるようになり
最近はコマ回しと縄跳びを披露してくれました。
今はすっかり呼び出しにも慣れて、いってらっしゃーい!と送り出してくれ兄ちゃんと2人で留守番もできます。
夜中もぐっすり寝るので出やすくなりました。

 

振り返ってみると育児と仕事をこなすには風邪症状との戦いだったなと感じています。
普段ならちょっとした風邪なら様子を見れたのに、コロナ禍においては少しでも症状があれば報告や対応が必要になりました。
この4年間で何度風邪をひいて、何度病院に行ったでしょう。検査キットも職場でダントツに使ってきたと思います。

 

そして雨の日も雪の日も、うだるように暑い日も。次男と登園し、次男も私もよく頑張ったなと思い出します。
時間のない朝に何度次男を怒ったやら。

 

私は子どもにあまり時間を割いてやっていないので、『いいお母さん』かと問われると、正直あまりよくないと思います。

 

でもありがたいことに、子どもは私のことが好きでいてくれる。なんとなく私の仕事について知ってくれている。私の子育てはそんな形です。

2人の子育てをしてきて 

のほーーんとして手のかからなかった長男と比べると
次男は活発でわがままで子供らしい子だと思っています。

 

保育士さんからは「ほわーんとしてますね」と言われるので2人の中では差があっても、2人とも のほーんとしたタイプなんでしょうけれど。

 

訪問看護師になってから
長男は発達に関して診断を受けたり
現在は不登校となっていることから
以前にも話しましたが、次男の発達はどうなのかと常日頃より気になっています。

 

長男の場合は小学校へ入学する直前に
発達についての問題が見え始めたのですが
幼少期の長男は温厚で大人しく自宅内では基本的には手のかからない子でした。
ただ大きな音が苦手なところ、感覚が気持ち悪いようでポケットにハンカチを入れられない、着心地の悪い服が着られないという特性には小さな頃から困らされました。
保育園では集団行動中、たまに拗ねてできなくなることがあり、サポートが必要なことがあったのと、読み書きを覚える素振りがなかった。

 

当時を振り返って改めて
今の次男をみてみますと、現在のところ次男は発達面に関して検診では引っかかっていないです。
ただ私は二人目育児においても、次男はこんな子だ、と思うだけで、子どもの発達について評価ができません。自信がないのです。

 

できるところを挙げますと、
とりあえずハンカチはポケットに入れることができます。ピタッとしたズボンも履けます。
数ヶ月前から自発的にひらがなを読めるようになり、先日はひらがなボードで50音をすべてなぞっていました。それは今の長男にもない集中力だと感じました。スラスラ書けるわけではないけど、年齢相応なのかなと思います。
縄跳びやコマ回しが知らない間にできるようになっていたことも長男にはない経験です。失敗したらすぐ諦める長男より何度もトライする姿が見えます。

 

反対にまだ人の気持ちの理解が不十分であるように感じます。
卒園式で当時の長男は泣いていましたが、次男はケロッとしていて「〇〇ちゃん泣いとる」と大きな声で指摘して笑っていました。
自分はお友達と離れて1人、新しい小学校入学すること、分かっているはずなのだけど…寂しいと思わないのかい?と卒園式の日、母は心の中で突っ込んでしまいました。

 

そして本当の登園最終日であった昨日。
突如「行かない!」と頑なになった次男。
え??今日最終日なのに突然休むの?お友達ともう会えないし、先生にも会えなくなるし挨拶しなくていいの?と何度も説得するけど「ゲームがしたい!」とばかり言います。

 

さみしいのかな?と思い話をしてみたけど「思ったんやけどぉ、○○くん(自分のこと)喉が痛かったんやって」と言います。
夜になってもう一度お友達や先生と分かれるのが寂しかったんじゃないの?と聞くと「お別れの日に行かなかったらお別れしなくていいと思った」とうるうるしながら話していました。
こんな唐突な別れで良かったのだろうか、仲の良かったお友達はどう感じたのだろうか?と親はもんもんとしましたが、次男はケロッとしています。

 

それが何かを意味するのか、私には判断ができません。

現に当時卒園式で泣いていた長男は、保育園からのお友達と小学校のうちは良好な関係でしたが、中学生になった現在、心情の読み取りが苦手で不登校になる前からクラスで浮いていたようです。
次男は「(長男は)なんで学校に行かないの?僕も休みたい!」と言うことが増えました。
そりゃそうですよね。
長男のことは受け入れができてきたけど、次男への影響は心配です。

 

どうか次男にとって小学校生活が
生きづらい環境ではありませんように。
劣等感に苛まれる場になりませんように。
楽しく学校生活が送れますように。

 

私が次男に願うことです。

 

それがいかに贅沢な望みなのか
私が1番よく分かっています。
先のことなんて誰にも分かりませんしね。

 

これまで学校行事に参加するたび
私は長男のできないところばかり目について
がっかり…というか「やっぱりできないんだな」と思い知ることを繰り返してきました。

 

でもお友達がいてくれて、学校を楽しんでいたのが救いでした。

 

小学校入学から不登校になるまで宿題には随分苦しめられました。長男に宿題をさせるというミッションはとても大変でした。『親の宿題』とよく言いますが、本当に親の宿題でした。夏休みなど「今週は〇〇して、来週は…」と私がアイディア出しと予定を組んでさせるのですが、なかなかうまく行きませんでした。

 

宿題を減らす配慮をしていただいていたにもかかわらず、そんな感じで。

 

今振り返ってみるとあの苦行はなんだったんだろう??
当時は必死だったけれど
私が長男の宿題をすることに意味はあったのだろうか?少なくとも長男の身にはたくさん怒られるというデメリットはあってもメリットがなかったです。周りの波長になんとかかんとか合わせてきた、ただそれだけです。

 

今は宿題の呪縛から開放されて私も助けられています。
もし今も学校に行けていたら?と仮定してみると、いや、あの生活を続けることはできなかっただろうなと思います。

 

親の管理下での学習から自主的な学習に移行していける子でなければ難しいでしょう。
そして世間一般ではこの年齢になるとできるようになっていくのでしょう。

 

次男はどう課題に取り組んでくれるのでしょうか。
正直言うと不安です。

 

自分の子どもは自分くらいの学力はあるだろうと勝手に思っていましたから、読み書きで躓くなんて思ってもみないことでした。何も疑っていなかったことが崩れ、人生一寸先は闇です。

 

うっかりすると不安に飲み込まれて
あぁ自分が親になるということを軽く見ていたなと思ったり
他のご家庭が羨ましい…思ったり
なぜ我が家はこうなってしまったのか?と育児を投げ出したい気持ちになったりします。
反面、これらのことで私はたくさんのことを身を持って学んだとも言えます。

 

なるようにしかならないし、自分の産んだ子たちですから、どんな形でも支援していく他ないですね。

 

次男は友達から離れ新しい環境で頑張っていきます。
長男はスクールソーシャルワーカーさんとの面談を中学校にお願いしました。
新年度になったらクラス替えもあるので長男の気持ちに変化が現れるのか?分からないけど、私はもう一度動いてみます。
現状でできることがないか探っていきます。

 

どんな形でもいい。
社会的な自立に向けて二人を見守っていきます。



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